それ、別の名を洗脳という

困るんやなぁ、いっつも。


本を読み出すと没頭する。


余程退屈な話で無い限りそうなる、という事実を告白することによって、
「憂鬱」「消失」の没頭評価は何だったんだ?てことになりかねんが。
普通に読んでても没頭している、ということらしい。


没頭して読むのはめっちゃいいと思う。
その世界に完全に浸っていられる。幸せや。
作者もそれを望むだろう、勝手に思ってすまない。


が、しかし、 owlmanの場合、没頭して読んだあとが困る。
時間を忘れるとか、興奮しすぎて寝れない、とかゆうのはええ副作用としても。


owlmanは、物語の世界に完全に入ってしまうと、
物語の「世界観」からの脱出にえらい時間が掛かる。
読み終わっても、現実と物語が頭ん中でぐちゃぐちゃ。素で寝ぼけてるような。
どうやら人に聞くとそうはならんらしいのだが、なってしまうものをどうしたらいいものか。


覚えてる範囲では、昔読んでた「ズッコケ三人組」シリーズが結構没頭系だった。
大半の日常に中に、一部非日常または非現実的な話が混じったものだったと思う。
ちなみに、ズッコケには悲しい思い出があって、最初は読むことを進めていた親がある時、置き場所がない、とかいう理由で、20冊くらいあった本をバザーに出してしまった。好きだったので、結構ショックだった。で、それ以降読んでない。


これが、映画になると、もうひとつ症状が悪化。
ラピュタはかなりヤバい部類。
もう何度も見てるのに、見た後晴れた日には、ラピュタが空に浮いてるような気が本気でする。上空を気持ちよさそうに巡航している成層圏航空機よりも彼方に。飛行機ってええな。見てるだけなら。乗るの嫌いやけど。
呆れたことに、何回も見て、こんな有様なので、
初めて見たあとは、鮮明な記憶ではないが、1週間程度は電波な行動や言葉を発してたはずだ。
自分自身の意識がどっか行きそうだったことは覚えてる。どこまで現実か見失う。


大人になるにつれて、段々感性が弱くなっているのか、意識がしっかりしてきたのか、昔ほどひどくないが、
最近では三崎亜記著「となり町戦争」が、わりかしええ感じの体験をした。
知らないところでひっそりと戦争が進行するという話。
架空なのに、広報に小さく載っててもおかしくない気がする。
広報って隅々まで良く見ると、当事者しかわからんような若干意味不明なことが時々書いてある。


この感覚は「憂鬱」でも味わった。
出来事を周囲の者と別の視点で理解しているのは5人。
普通の人にはわからないように日常生活に紛れ込んで異常現象が起こる。
残念ながら、物語の出来事に話が入りすぎて、日常的な部分がかなり減ってきたため、「憂鬱」以降はあまり没頭出来なくなった気がするけど。